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横井庄一さんとは?グアムの洞窟で28年間の潜伏状況を大公開!横井ケーブも現地在住者がレポート

みなさんは横井庄一さんという方をご存じでしょうか?この方はニュースにもなりましたが、なんと28年間もの間、グアムのジャングルの洞窟に潜伏していたというすごい人です。現在、この場所は観光地となっています。

それでは横井さんが過ごしたサバイバルライフについて、ご紹介していきたいと思います。

グアムの歴史についても学んでおきたいという方。ぜひこちらを読んで下さい。楽しいグアム旅行が、また一味違ったものになりますよ!

この記事でわかること|タップで飛べる目次

横井庄一さんの生い立ちとは?

28年もの間、異国のジャングル洞窟で自給自足で生き延びたという横井さんの生い立ちとは、どんなものだったのでしょう。ではご紹介していきます。

愛知県にて長男として誕生

横井庄一さんは1915年(大正4年)3月31日、愛知県海部郡佐織村(現在の愛西市)にて、父、山田庄七さんと母、大鹿つるさんの間に長男として生を受けました。3歳の時に両親が離婚し、後に母親の再婚により横井姓を名乗るようになります。

地図はこちらです。↓↓↓

満州からグアムへ

1935年(昭和20年)、満20歳になったため徴兵検査を受け第一補充兵役に編入されます。4年間軍務を勤め上げた後、洋服の仕立て屋を開業します。

そして、1941年(昭和16年)太平洋戦争が勃発し満州へ渡り、1944年(昭和19年)グアム島に陸軍伍長として配属されます。

グアムのジャングルに28年間

終戦を知らずに

1944年(昭和19年)に横井さんがグアムに渡った年の7月、アメリカ軍が上陸します。グアム島には2万人の日本兵が残されていましたが、日本海軍はすでに壊滅。マリアナ諸島の制海権も制空権もアメリカにあったため、援軍も補給もない戦いは絶望的なものでした。

そして同年8月には横井さんは戦死とみなされ、家族の元に戦死通知書が届けられました。しかし、日本軍守備隊は壊滅しましたが、生き残った一部の将兵はジャングル内でゲリラ戦を行っていました。その生き残った中に横井さんがいたのです。

1945年(昭和20年)ポツダム宣言により、日本軍の無条件降伏が発令されました。ですが、ジャングルの中にいた横井さん一行は知るよしもなく「日本軍がいつか助けに来てくれる!」と信じ続けました。このようにジャングルの中に地下壕を作り、生活していたのです。

ジャングル生活を続ける中、まだ潜伏している日本兵に対してビラが撒かれました。それは「日本は敗戦した」と帰国を促すものでした。横井さん一行もこのビラをみましたが日本が負けるわけがない!とこれを信じなかったそうです。

戦友の死そして孤独な8年間

当初、横井さんには二人の戦友がおり、最初の20年間はその二人と行動を共にしていました。ですが、途中から意見の衝突があったことで二人と別れ、一人で行動しています。

別れた後も時々会ってはいたようですが、ある日大型台風がグアムを襲い、食料が取れなくなった横井さんが彼らを訪ねると二人は亡くなっていました。

こうして残りの8年間をたった一人ジャングルの中で生活しました。誰とも話さずに……。「仲間の骨を日本に持って帰る」「帰って親孝行をする」この二つの想いが横井さんに生きる力を与えたのです。

名言「恥ずかしながら帰ってまいりました」

1972年(昭和47年)1月24日、海老やウナギの罠を仕掛けに行ったところ、現地の住民に見つかり保護されました。その後グアムの病院に入院します。

1972年(昭和47年)2月2日、ついに28年ぶりに日本の地を踏みます。記者会見で「恥ずかしながら生きながらえておりましたけど」と発言されたその言葉から「恥ずかしながら帰ってまいりました」という言葉がその年の流行語にもなりました。

あの有名な掛け声の方だったとは!

昭和50年代に流行った「横井庄一さんの名前」と立ち上がる時やものを持ち上げるときの掛け声「よっこいしょ」。この二つを掛け合わせたギャグが「よっこいしょういち」でした。この流行語は、日本全国の誰もが慣れ親しんだ言葉となりました。

実は私もグアムに来る前、この「よっこいしょういち」というギャグだけ知っていました。でもそれが誰の事なのか気にも留めもせず、グアムに来てから横井さんの事をはじめて知ったのです。私は「横井庄一さんってこんなすごい人だったのか!」と衝撃を受けました。

横井さんの奥様、美保子さんが書かれた本を読めば、もっと詳しくわかります↓↓↓

洞窟での暮らし|壮絶な潜伏ライフとは?

横井ケーブ図

横井ケーブ図

では横井さんが、いったいどのような場所で過ごしていたのか?を詳しく見ていきます。

わずか3mの我が家

横井さんはジャングルの中に自ら穴を堀り、その洞窟の中で暮らしていました。この大きさは深さ2.5m程の穴をはしごを使って降り、中は高さ1m、奥行き3mの広さです。トイレもあり、自作の棚もあります。

奥様の美保子さんが結婚後グアムを訪れた際に、この洞窟に入ってみたそうですが、暗くて空気も薄く、匂いも強烈だったので「もし自分だったら死を選んでいたと思う」とおっしゃっています。それほど劣悪な環境だったようです。

食糧は?命がけで賢人は手に入れた

猛毒があるソテツの実

食料がない中、ジャングルの中でようやく見つけた赤い実。それは猛毒のあるソテツの実でした。それを食したため、横井さん一行に吐き気や腹痛が襲います。そんな中、数日水につけたソテツは毒が抜けて食べられるようになるのだということに気付きました。

ネズミやカエル/カタツムリ

ネズミやカエル……今、この時代に生きている私たちにとってはちょっと食べ難く感じます。ですが、かつての時代にこれらの生き物は大切な食料源でした。横井さんは「この動物達のおかげで自分は生き残ることができたのだ」と感謝していました。

そして亡くなる前に、奥様への遺言の一つとして「この動物たちのための慰霊碑を建てて欲しい」と言い残したのです。その遺言通り、奥様は横井さんのお墓の横に慰霊碑を建てました。

海老やウナギ

横井さんは竹から作り出したウケを使い、海老やウナギを捕まえて食べていました。海老は乾燥させて粉にし、保存食にもしていたようです。他にもヤシの実や野草など、ジャングルで食べられるものはいろいろと身体をはって試しました。

ものを作り出す器用さが「生きる知恵」に

洋服屋の仕立て屋という仕事をしていた手先の器用さが功を奏したのか、横井さんは生活で必要なものをいろいろ作り出しています。

薬莢を利用して縫い針を作ったり、砲弾を解体してクワを作り穴を掘ったり、旧日本陸軍より支給された飯盒や水筒を切断・加工をし、鍋や皿やふたを作りました。

驚くべきことに、ジャングルに自生していたパゴの木から繊維を取って布を織り、洋服を作ったこともありました。その他にもヤシの実から抽出したココナッツミルクを煮詰め、油を作り、それで揚げ物をしたり、ランプを灯したりしていたそうです。

今の私たちにできることとは?

これらの器用さと究極の強靭さがつらく過酷だった28年間を支えてこられたのでしょう。果たして誰がこのようなことを他にできたでしょうか。改めて振り返ってみても、本当に凄い方ですね!

今の日本は戦争後は高度成長を遂げ、豊かな国となりました。経済や科学、様々なテクノロジーのおかげで発展を遂げることができました。現在2020年に生きる私たちが、横井さんに対して何を伝えられるでしょうか。

私は今、本人に言葉をかけることができたら、どんな言葉をかけるだろうと考えてみました。

大切な横井さんに伝えたい言葉

「ジャングルで28年間一人きりで生きること。もし自分だったら……。想像しただけで途方にくれてしまいます。横井さんの生きる力は本当に素晴らしかったと思います。このような究極体験を経験したら、私も後の人生どんなことがあっても乗り越えていける気がします。

今の時代……とても便利な時代で、なんでも物が揃っているはずですが、人の心は弱く、簡単に命の大切さが損なわれています。横井さんを見習い、人生を簡単に諦めずにもっと生き抜く力をつけねばと思います。

大切なのは諦めないことということを学ばせて頂きました。ありがとうございます」

これからも横井さんが培われた功績は、忘れないでしょう。私もここで貴重な機会を得ることができました。

横井さんについて書かれた絵本はこちらから購入できます↓↓↓

横井ケーブと呼ばれる観光地や行き方は?

タロフォフォの滝

タロフォフォの滝

そして現在グアムでは、横井さんにちなんで横井ケーブ」という名前の観光地があります。ここはタロフォフォの滝公園(TALOFOFO FALLS PARK)内に位置しています。

タロフォフォの滝公園

公園内には動物園と言えるほどの規模ではありませんが、おりの中に鹿がいたり、豚や鳥などの動物が放し飼いになっています。餌も売っていますので、お子様は喜ぶかもしれません。また、他にもいくつか観光施設がありますので、ご紹介していきたいと思います。

レトロ感あふれるミニ遊園地

コーヒーカップや回転ブランコ、バンパーカー、ミニ機関車があります。せっかくなので全て乗ってみましたが、大人でも結構楽しめました。

日本の遊園地と違い、一つ一つの乗り物の乗車時間が結構長めです。なので、途中で気持ち悪くなったらスタッフに合図すれば止めてもらえます(私はコーヒーカップで気持ち悪くなり止めてもらいました)。お化け屋敷もありますが、怖くて私は入れませんでした。

18歳以下お断り!愛の園(LOVE LAND)

18禁な感じの銅像がたくさん展示されています。親子で入るのはあまりおすすめしません。恋人や夫婦におすすめですが、気まずい空気にならない友達同士であればオッケーです!話のネタにどうぞ!

ジャングルを一望!展望台

お化け屋敷の近くに展望台があります。ここから見るジャングルは圧巻です。

スリル感満載なケーブルカー

タロフォフォの滝へはケーブルカーに乗って降りていきます。かなり古い感じのケーブルカーなので「大丈夫かな……」と少し不安になりましたが、ある意味スリルがあって楽しいです。

グアムで最大!タロフォフォの滝

ケーブルカーを降りてすぐにタロフォフォの滝が見れます。滝は第一の滝と第二の滝があります。最初に通るのが第二の滝となります。

グアムの歴史をざっくり勉強。グアム歴史博物館

奥にある桟橋を渡って道なりに進んでいくと売店や小さな歴史博物館があります。小さな博物館はグアムの歴史について絵と人形で表現されています。ただし日本兵が自決する場面なども紹介されているため、小さなお子様にとっては少し怖いかもしれません。

そして売店横の道をさらに進んでいくと、横井ケーブが見えてきます。道はすでに作られてありますが、葉がうっそうと茂っているので、とにかく蚊が驚くほどたくさん!虫よけ対策は必須です。

横井ケーブがあるタロフォフォの滝公園はこちら↓↓↓

行き方

中心部からは少し離れたところにありますので、アクセス方法はツアーに申し込むかレンタカーになります。

入場料・営業時間

入場料 大人:$20 子供(4~11歳):$8 3歳以下:無料

※ロープウェイ代含む

営業時間 9:00~17:30
休業日 無休 ※2020年9月現在はCOVID19のため閉業中

ここまでは横井ケーブに至るまでの観光場所をご紹介しました。園内はそこそこ広いですが、観光客はあまり多くないのでゆったり見学できます。私は3歳の娘と一緒に行ったので、動物に興味を示したり、ミニ遊園地やケーブルカーもかなり楽しめました。

タロフォフォの滝にある桟橋を渡るのもなかなか楽しかったです!

横井ケーブ以外の施設について、個人的な感想を表にまとめてみました↓↓↓

公園内見学箇所 おすすめ度
ミニ遊園地 ★★★☆☆
愛の園(LOVE LAND) ★★☆☆☆
お化け屋敷 ?????
展望台 ★★★★☆
タロフォフォの滝 ★★★☆☆
グアム歴史博物館 ★★☆☆☆

それでは次にいよいよ横井ケーブをご紹介したいと思います。

蚊がたくさんいるので、こちらを虫よけ対策にどうぞ!↓↓↓

タロフォフォの滝公園内の横井ケーブは本物?レプリカ?

横井ケーブ・レプリカ

横井ケーブ・レプリカ

実はタロフォフォの滝公園内にある横井ケーブは、観光客用に再現されたレプリカです。実際に横井さんが暮らしていた洞窟はさらに山の奥にあるそうですが、私有地のため一般人は立ち入り禁止となっています。

また、数年前の台風により現在は崩落してしまっています。

タロフォフォの滝公園内の横井ケーブは本物ではありませんでしたが、同様の洞窟で横井さんが「28年間もここで暮らしていたのか?」と思うと、本当に何とも言えない気持ちになりました。

ただ暮らすだけではなく、敵に見つからないようにと、緊張の毎日はさぞ過酷なものだったでしょう。家族にも会いたかったに違いありません。私もこの精神力の強さを見習わなくてはと思いました。こちらも私の感想を表にしました。↓↓↓

おすすめ度 ★★★★☆

この動画を見るとタロフォフォの滝公園の様子がわかります↓↓↓

日本人にとって楽園リゾートのグアム、悲しい歴史の上に成り立っている事がわかります↓↓↓

まとめ

横井さんの生涯を以下にまとめてみました。↓↓↓

1915年(大正4年)3月31年 愛知県海辺郡佐織村(現在の愛西市)にて長男として誕生。
1926年(大正15年) 母親の再婚により、横井姓となる。
1935年(昭和10年) 徴兵検査を受け第一補充兵役に編入後、帝国陸軍へ。4年間の軍務後洋服の仕立て屋を開く。
1941年(昭和16年) 再招集により満州へ。
1944年(昭和19年) グアム島の歩兵第38連隊に陸軍伍長として配属。アメリカ軍が上陸し、8月に戦死したとされる。
1945年(昭和20年) ポツダム宣言受諾により、日本軍の無条件降伏が発令されるが、知らずにグアム島に潜伏し続ける。
1965年(昭和40年) 第19回戦没者叙勲で勲八等から勲七等青色桐葉章への昇叙者として官報掲載される。
1672年(昭和47年)1月24日 グアム島のジャングルで現地住民に発見される。
1672年(昭和47年)2月2日 28年ぶりに帰国。
1974年(昭和49年) 第10回参議院議員通常選挙に立候補するも落選。
1997(平成9年)年9月22日 心臓発作を起こし満82歳にて没。

日本に帰国後、横井さんは悲惨な戦争が再び繰り返されないようにと、奥様の美保子さんと共に戦争の事を伝える講演会などに尽力しました。

今ではリゾート地としてのイメージが強いグアムですが、戦争という悲しみを乗り越え、日本と強い絆で結ばれています。今でもいたるところに戦争の痕跡が残っていますので、グアムに訪れた際は観光地そして横井さんを守り続けた奇跡の場所に足をのばしてみて下さい。

グアムの歴史や横井さんの軌跡を知ることで、その旅がさらに深みを増す意味あるものになると思いますよ!それでは素敵な旅をお楽しみ下さい!

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